V6の森田剛くんが以前、「植物の言いたいことがなんとなくわかる」と言っていた。剛くんは植物が好きで育てているので、水がほしいとか根が張って窮屈だとか?(あまり思いつかないあたり私が植物を枯らしてきたことを物語っている)植物が言いたいことがなんとなくわかるという。
ほんとかしら、やっぱり植物を育てるのが上手い人は違うわあと思っていた。私はどのくらい水をやればいいかわからなくて、気づいたら根をパカパカにすることが多かったから。
でも、私も最近わかることがある。手帳の言うであろうことが。手帳に書いたら、手帳はどう答えてくれるかしら。これは怖い話ではない。たとえばなんとなく不安になったとき、手帳に書いたらそのあとはどんなことが出てくるだろう。きっと、少し離れたところから眺めて、なるほどなぁと感じる答えをくれるはず。しばらく放っておこうとか、ここの問題は早めに解決しようとか。そう思うと、揺れていた気持ちが落ち着いて、漠然とした不安も楽になる。
そしてこれは、手帳の節約にもなるはずだ。いつもレシートやら紙もの、パッケージを貼って「いっぱい(ページを)使ったねえ」と言われている私には、効果があるような、ないような。
でもこれはおおむね、調子がいいとき。体調がすぐれないときは、手帳の言葉があまりわからない。「頭が痛い」と書いても、手帳はそれを反芻してくれるだけ。「頭が痛いね」と。でもやがて私は自然に思いつく。原因はこれかもしれない、と。じゃあそうならない方法を探してみようと思える。手帳に書かなければいずれ忘れていたであろう痛み、考えてみようとすら思えなかったこと。
手帳はモノだけれど、私自身でもある。その手帳を通して、私は私を知ったり、大事にしていったりすることができているのかもしれない。

