親や家族から「絶対に◯◯になれ。そうしないと××するぞ」と言われた人はどのくらいいるのだろう。聞いたことがないし、私もほぼ誰にも言ったことがない。うまく処理できなかったし、「話したところで、私の気持ちなんて誰にもわからないでしょ」という気持ちだったから。
でも、そういった人は意外にもいるのかもと、大人になった今思う。そこで自分の考えを書いてみたい。
上記のように言う人の心情として、2通りの推測ができる。良いほうと悪いほう。
まずは、良いほう。これは自分のよく知らない職業は人にすすめられない、という考え方。そのため自分の知っている中で一番いいと思われる職業をすすめる人。でもこれは牧歌的。自分は知らんけど相手がそんなになりたいんなら、やってみたらええやんと思えるはず。少なくとも相手は、自分よりもその職業について知ってるんだから。
もうひとつは、悪いほう。自分の思惑通りに動かないやつは許せない、という考え方。自分のすすめたものが選ばれなかったら、自分自身を否定されたと考える人。己を守るためにあなたの考えや選択を否定してくる人。
こういう人の話に耳を傾けたとて、得るものはない。それよりも、自分の心に耳を傾けたほうがずっといい。
もしかしたら、「自分の心」や本音が見えないという人もいると思う。それまでの経験や蓄積があってもやがかかり、やりたいことがわからなくなることもあるから。
もし、もやもやとしたまま動けない、という過去の私に似た人がいるとすれば(そして文字を書くことが苦でなければ)、私はジャーナリングをすすめるだろう。ノートに思いつくままに、自分の頭の中にある言葉を書いていくやり方だ。

嬉しかったこと、楽しかったこと。できたこと、できなかったこと。言われて嫌だったこと、悲しかったこと、失敗したことも、書いていけばちゃんとそこに、あなたがいる。そうやって自分の輪郭や想いを取り戻そう。
ネガティブなことであっても、いったん紙の上に置いておく。破り捨てたいほど嫌なことだったら書いた紙を実際に破り捨ててもいいが、そうでないならしばらく放っておいてもいい。そうすることで、その事柄に頭の中を埋め尽くされることなく、紙の上に置いておける。
進路に関して、私は結局、言われたことを聞かなかった。大学で留年を繰り返したあげく、逃げるように強引に就職を決めた。「文章を書いて食べていきたい」という思いで決めた、Webライティングの仕事だった。
残念ながら当時はジャーナリングや自分の心のクセ、もやもやしたときの対処法などを知らなかったので、職場でパワハラを受けても特になすすべなく、生産的なことに結びつけることもできず、コンビニで過食に走ったりしていた。
そのあと病気になって、ライティングの仕事はできない状態になり辞めてしまった。でも、後悔はしていない。だって私は文章を書いていたかったし、今もそれは変わっていないから。夢を夢のままで終わらせずに済んだし、大変なことも楽しいことも味わうことができたから。
やりたいことをやったからといって、うまくいくともさっさと幸せになれるとも限らない。でも、やりたいことをやったという記憶は残る。酸っぱいかもしれないし苦いかもしれない、飲み込みづらい部分があるかもしれない。どんな味だか食べてみるまでわからない。でも、自分だけが味わえる果実だ。
もし今だったら。まずはノートに、自分のやりたいことを書き出す。やりたいことを見つける方法はいろいろあるけれど、まず自分がどういうことが楽しくて、どういうことが嫌で我慢ならないのか書いてみるだけでも、それがもんやりした、「気のせい」で片付けられるようなものじゃなく、ちゃんと基盤と構造をもったものということが見えてくるはず。
だいたい自分のことが書けたら、次は他の人のやり方に目を向けてみる。自分の目指すものやそれに近いものをすでにやっている人の1日のスケジュールや、暮らし方や、考え方に興味をもって調べて、メモに書き出す。YouTubeだったり本だったり、Instagramだったりと参考にできる先はいろいろある。それで自分の望みや性格とどう違うか、自分はどういうやり方でやっていこうか、誰の味方でありたいか考えてみる。
そうすれば、事業内容とお客様という、仕事の土台になる2つの要素が見えてくるはずだ。それに合う職場があれば門を叩いてみてもいいし、見つからない場合は学生のうちから小さく始めてみるのもいいと思う。
私は失敗も多かったし、人の期待を裏切ったこともあったと思う。それでも、自分で決めた人生を生きてきたことは、ちゃんとよかったと思っている。

